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大阪地方裁判所 平成6年(ワ)7621号 判決 1995年12月21日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

谷五佐夫

被告

株式会社乙川銀行

右代表者代表取締役

倉橋基

右訴訟代理人弁護士

北山六郎

土井憲三

岡田清人

林晃史

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告に対し、五五〇〇万円及びこれに対する平成五年一一月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

第二  事案の概要

一  本件は、原告が、同業者の丙山春夫(以下「丙山」という。)から不動産取引の資金の融資を依頼され、これに応じて融資した五五〇〇万円を丙山に代わって手付金として取引の相手方に支払うため、丙山の指示にしたがって被告箕谷支店の丁田正(以下「丁田」という。)名義の普通預金口座(口座番号五一九〇一九、以下「本件口座」という。)に振り込んだところ、本件口座は、被告がその開設の際に本人確認を怠ったことから、下村明子(以下「下村」という。)によって開設された偽名口座であり、さらに被告が本人確認をしないまま右五五〇〇万円の払戻しに応じたため、下村の代理人に右振込金を引き出され、右同額の損害を被ったとして、民法七〇九条に基づき、被告に対し、損害金五五〇〇万円と不法行為の日の翌日である平成五年一一月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

二  争いのない事実等

1  原告が五五〇〇万円を本件口座に送金するに至った経緯等

(一) 原告は、不動産業を営む会社を経営している。そして、原告は、昭和六〇年ころ、不動産業を営む丙山と知り合い、不動産の情報交換等をしていた。また、原告は、平成四年一〇月及び平成五年六月ころの二回にわたり、丙山に対し、各二〇〇〇万円くらいを融資した。

(原告本人)

(二) 丙山は、平成五年一一月一〇日頃、原告に対し、神戸市北区山田町の土地を交換契約により取得する話があり、その土地の売却先も既に決定しているので、交換契約に必要な手付金五五〇〇万円を貸してほしい、一〇〇〇万円のお礼をする等と述べて融資を申し込んだ。

原告は、丁田の署名等が未了の交換契約書、登記簿謄本、業務委託契約書等の書類によって右丙山の話が信用できると判断し、丙山に対し、五五〇〇万円を融資することとした。そして、原告は、丙山から、売主が右手付金を本件口座に振り込むことを希望しているので、手付金を自分の代わりに直接振り込んで欲しいと依頼されてこれを了承し、本件口座が丁田の開設した口座であると考え、丙山が経営する株式会社二林商事の名義で五五〇〇万円を本件口座に振り込んだ。

(甲第二、第三号証、第八号証の一、二、第九、第一〇号証、原告本人、弁論の全趣旨)

(三) その後、丙山は、原告に対し、交換契約書及び領収証を持参して、同年一二月三日に契約が成立したと報告した。さらに、丙山は、平成六年三月二八日、原告に、交換契約によって取得した土地を売却した代金が月末に入るのでその日に他の借入金と併せて一億五〇〇〇万円を返済すると約したが、原告は、翌日から丙山と連絡が取れなくなり、同月三一日以降丙山の所在は不明となった。

そこで、原告は、同年四月一日頃、丁田の電話番号を調べて同人に電話をかけ、手付金を丙山に渡さないよう求めたところ、丁田は、被告箕谷支店に口座を開設しておらず、五五〇〇万円も受け取っていないと返答した。

(甲第一号証の一、二、原告本人、弁論の全趣旨)

2  本件口座開設及び五五〇〇万円の払戻し

(一) 不動産業を営む海産業株式会社(以下「海産業」という。)の取締役であった下村は、平成五年九月ころから、被告箕谷支店に出入りしていた。

(証人大野)

(二) 被告箕谷支店は、平成五年一〇月ころ、被告西宮北口支店の取引先である山岡商事の社長から、「海産業が近々不動産取引の関係で口座を開設したいと言っている。」と口座開設の紹介を受けた。

(証人大野)

(三) 下村は、同年一一月一九日、被告箕谷支店に来て、口座開設を申し込んだ。同支店の支店長代理の大野勝平(以下「大野」という。)がこれに応対し、まず普通預金申込書(複写式で三枚目に取引印鑑届が付いている。)の作成を求めたところ、下村は、氏名欄に「丁田正」、住所欄に「<省略>」、勤務先及びその電話番号欄に海産業とその電話番号を記入した。

大野は、下村が海産業の取締役であること、海産業が不動産業者であることを知っていたので、右記載や前記紹介の内容等を総合して、丁田が海産業の社長か従業員であり、その取り扱う不動産取引の関係で本件口座を利用するため、同じ会社に勤める下村が何らかの事情で丁田の代理人として口座開設に来たと考えた。

その際、大野は、下村に、丁田の本人確認の資料を提示するよう要求したが、下村は、持参していないので後日提示すると答えた。

しかし、大野は、下村が丁田の代わりに口座開設に来たこと及び本人確認資料を持参していなかったことについて特に不審を感じなかった。

(争いのない事実、乙第四、第五号証、証人大野、弁論の全趣旨)

(四) 本件口座開設当時、被告に口座開設のため来店する客で本人確認資料を最初から持参する者は余りいなかった。被告における本人確認事務の実施方法としては、口座の開設時に運転免許証等で確認する事前の確認が原則であり、客が本人確認資料の追完を拒んだような場合には、口座開設を断っていた。

しかし、開設時に本人確認資料の提示がない場合であっても、後日資料の追完を約し、既に面識がある客のような場合には口座開設に応じることもあった。

(乙第三、第六号証、証人大野)

(五) そこで、大野は、事前に取引先から紹介を受けた上での口座開設であること、下村の記入の様子に特に不審な点がなかったこと及び下村が後で本人確認資料を持参すると約束したことから、後日確認の資料が提出されるものと考え、本件口座の開設に応じることとし、返信用の封筒を下村に渡し、来店できなければその資料を郵送して欲しい旨依頼した。そして、被告でマニュアル化されている本人確認未済の報告手続を取った。

(乙第三、第六号証、証人大野)

(六) 翌営業日である同月二二日になっても被告に本人確認資料は届かなかった。そこで、大野は、海産業に電話をしたが、下村が留守であったため、被告に折り返し電話するよう下村への伝言を依頼した。

ところが、下村からの連絡がなかったため、大野は、以後数回にわたり、海産業に電話したが、いずれも下村が不在であるから、後刻電話をさせるとの返事を得たものの、結局、下村からの連絡は一度もなかった。

(証人大野)

(七) 同月二九日、下村から、被告箕谷支店に、本件口座に振り込まれた現金を被告大阪支店で引き出すことができるかとの問合わせの電話があり、大野が箕谷支店では可能であるが、大阪支店では五〇〇万円までしか引き出せないと返答したところ、下村は、不動産購入資金として出金したい、自分の代わりの者を行かせるから出金手続をして欲しいと告げた。

まもなく、下村の代理人の男性が、本件口座の通帳及び届出印を持参して来店し、五二五〇万円の払戻しを請求したので、被告箕谷支店は、その印鑑及び通帳が真正なものと確認の上、現金四〇〇〇万円と額面一二五〇万円の自己宛小切手を交付した。

大野は、右出金手続を取る際、下村の代理で来た男性に、本人確認資料の提出を求めなかった。また、同年一二月八日、本件口座から振込金五五〇〇万円の残金二五〇万円が払い戻された。

(争いのない事実、証人大野)

3  金融機関における本人確認規制

(一) 大蔵省は、架空名義預金について注意喚起をしていた。そこで、金融機関も、これを受け、昭和四二年一二月、仮名預金は受け入れないこと及び本人名義以外の預金であることを知りえた場合には本人名義に改めるよう預金者の協力を求めるとの申合せをし、併せて預金者に周知させるため全店舗にその旨の掲示を行い、また、昭和四四年六月及び昭和四七年一二月にも同様の申合せを行い、店舗掲示の充実を図っていた。

(甲第一一号証、弁論の全趣旨)

(二) 更に、近年麻薬等薬物の不正取引が国際的に拡大してきた事情を背景に、昭和六三年一二月、「麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約」が採択され、平成元年一二月に日本もこれに署名した。

右条約実施のための国内整備として、平成二年六月二八日付蔵銀第一七〇〇号「麻薬等の薬物の不正取引に伴うマネー・ローンダリングの防止について」(以下「マネ・ロン通達1」という。)が出され、薬物犯罪によって取得された資金洗浄を防止するため、金融機関が本人確認手続をとるよう努力しなければならないことが定められた。

さらに、平成三年一〇月に「麻薬及び向精神薬取締法等の一部を改正する法律」及び「国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例に関する法律」(以下「麻薬二法」という。)が公布された。麻薬二法では、資金洗浄の処罰規定及び薬物犯罪により得た不法収益等の没収規定が定められ、金融機関が疑わしい取引(金融機関等が当該業務において収受した財産が不法収益等である疑いがある場合又は当該業務に係る取引の相手方が当該取引に関し不法収益等隠匿罪に当たる行為を行っている疑いがあると認められる場合)を認知した場合の届出についても規定が置かれた。

(甲第四、第五、第一一号証、乙第一号証)

(三) 平成四年七月一日付蔵銀第一二八三号「麻薬等の薬物の不正取引に伴うマネー・ローンダリングの防止について」(以下「マネ・ロン通達2」という。)が社団法人全国地方銀行協会(以下「銀行協会」という。)会長宛に出され、麻薬二法の趣旨を効果的に実現すべく、各金融機関が、①口座開設あるいは大口現金取引の際に公的又は他の信頼できる証明書類等に基づき本人確認を行わなければならないこと、②本人確認状況を半年毎に報告すること、③顧客に対する周知・徹底を図るよう努めなければならないこと等が定められた。

また、同日付でマネ・ロン通達2の具体的な取扱いを定める大蔵省銀行局銀行課長の事務連絡「麻薬等の薬物の不正取引に伴うマネー・ローンダリングの防止に関する留意事項について」(以下「マネ・ロン事務連絡」という。)が銀行協会担当役員宛に出され、マネ・ロン通達の本人確認の具体的方法と大口現金取引の具体的内容を定めた。この事務連絡では、本人確認の方法として書類等による確認措置と選択的に①キャッシュカード等を届出のあった住所に簡易書留扱いで郵送した場合で、当該郵便物が返戻されなかった者、②渉外担当者等が訪問し、住所、氏名等を確認した者、③金融機関の店舗の近隣に居住している等面識がある者については本人確認ができていることとする確認措置を、また、現金による三〇〇〇万円以上の入出金等の大口現金取引については、取引の都度本人確認をすべきことを定めている。

(甲第五号証、乙第一、第二号証)

三  争点

1  本件口座の開設及び五五〇〇万円の払戻しについて被告の行為に過失ないし違法性があるか

(一) 原告の主張

(1) 銀行は、銀行法一条に定めるとおり、現代社会において国民の経済活動、日常生活一般に関係する公共性ある業務を行っているのであるから、預金者のみならず預金口座を利用する全ての者の利益に配慮して、これらの者に不当に損害を被らせないようにする社会的私法的義務がある。また、銀行は、架空名義預金について、大蔵省の注意喚起に基づいて、昭和四二年ころから、仮名預金の受入禁止及び本人名義への変更について、申合せや全店舗掲示を行っていたが、平成二年ころからは、マネ・ロン通達1及び2により、口座開設を行う場合は、口座開設時に、大口現金取引のうち国内取引については三〇〇〇万円以上の取引を対象に取引の都度本人確認を行うべきことを義務づけられた。以上のような経緯から明らかなように、銀行は、マネー・ローンダリング防止のみならず、その他の銀行の信用を利用した犯罪の手段等に利用されないようにするため、預金口座の開設及び預金の払戻しに際して本人確認を行うべき義務がある。

また、銀行が実在の人物と全く同一人名義の架空の口座を開設させ利用させることを認めると、実在の人物と関係があることを装った者が、その口座に現金を振り込ませてこれを詐取することが容易にできるようになることからすれば、口座を利用した犯罪を防止するためには、実在人が存在しない口座を開設されないようにするだけでなく、実在する他人名義口座の悪用をも防ぐ必要がある。したがって、銀行は、預金者に本人確認資料の提出を求めるだけではなしに、口座開設しようとする者が本人かどうかを十分確認しなければならない。

(2) ところが、被告箕谷支店の担当者は、本件口座の開設に当たり、丁田に直接確認をするか、または本人確認の資料を提出させるべきであったにもかかわらず、これを怠り、丁田に確認をせず、しかも、口頭で右資料の提供を求めただけで本件口座を開設し、また、三〇〇〇万円以上の預金を払い出す際には本人確認をする必要があるにもかかわらず、本件口座から五二五〇万円が払い戻される際、右確認を怠り、本人確認をしないまま本件口座から五二五〇万円を払い戻したから、過失があるし、右行為は公序良俗に反し違法である。

(二) 被告の主張

(1) 原告は、銀行の公共性、社会性から、預金者のみならず預金口座利用者に対しても、本人確認の義務を負うと主張するが、そのような解釈は不合理、不可能である。

金融機関は、架空名義、借名名義の預金口座開設が当の金融機関にも社会的にも相当でないとしてこのような預金は受け入れないとの申合せをしているが、これは金融機関に本人確認及び架空(借名)名義預金開設防止の法的義務まで課するものではないし、また、マネ・ロン通達1及び2により、銀行は、行政上、口座開設の際の本人確認が義務づけられているが、それはあくまでもマネー・ローンダリング防止のためにすぎない。

そして、マネ・ロン通達1及び2により銀行に義務づけられている本人確認は、マネ・ロン防止という本来の観点からして、名義人が実在することが確実であれば、充分である。また、マネ・ロン通達も、開設時には本人確認の資料の提出がなくともケース・バイ・ケースで銀行が口座開設に応じうることを認めている。本人確認未済の預金取引も私法上は有効であるから、預金者が書類の追完を約している状況においては、銀行が取引を強制的に解約できる根拠も慣行も存在しないし、預金契約が有効に成立している以上、本人確認未了だけでは、正当な出金拒否の理由とはなりえない。

(2) 口座開設の際の本人確認は、本人が存在することの確認であって、本人の意思に基づくことの確認までを必要とするものではないから、本件口座の開設に当たり、丁田に確認をする必要はない。また、口座開設の際の本人確認は、口座開設の前に行うのが原則であるが、本件口座の開設の場合のように、口座開設について紹介があり、開設手続をした者と面識がある上、後日本人確認の資料の追完を約束している場合には、口座開設の前に本人確認ができなくても、口座を開設することは許される。また、本人確認が未済であっても、預金契約は有効に成立しているから、本件口座の預金通帳及び届出印を持参した下村の代理の者に対する払戻しは正当である。したがって、被告には過失はないし、右行為に違法性もない。

2  被告の行為と原告の損害との間の因果関係の有無

(一) 原告の主張

原告が、本件口座に五五〇〇万円を振り込んだのは、銀行では口座開設に際し本人確認が行われていることを前提に、右口座に振り込めば必ず丁田のもとに届くものと信頼したからであり、丁田名義の口座が存在しなかったならば(本人確認による裏付けがないのなら)、もっと慎重に売主に連絡を取るなどして、丁田に確実に右金員が交付されるよう注意した。また、被告が本人確認のために住民票等を提出させていたならば、丁田は口座名義人の住所地として記載された<省略>には居住しておらず、本件口座の開設もできなかったから、原告が右金員を本件口座に振り込むこともなく、右金員の詐取を免れた。

(二) 被告の主張

前記のとおり、銀行実務で言う本人確認とは、本人の存在確認であり意思確認でないことは原告も右金員を振り込む際経験していた。そうだとすれば、本件口座が被告箕谷支店に存していたとしても、原告は、第三者により本件口座が開設されることがあることを予想していたはずである。したがって、本件では、原告が右金員を詐取されたとしても、それは原告が自ら丁田に確認しなかったためであり、被告の本人未確認と原告の損害発生との間には因果関係がない。

3  過失相殺

(一) 被告の主張

原告が本人口座に五五〇〇万円を振り込んで、これを回収できなくなった主たる原因は、原告が丙山の言を軽信し、丁田の意思確認を怠ったことにあるから、仮に被告が原告に対し損害賠償義務を負うとしても、その賠償すべき金額について過失相殺をすべきである。

(二) 原告の主張

被告の主張は争う。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件口座の開設及び五五〇〇万円の払戻しについて被告の行為に過失ないし違法性があるか)について

1  原告は、被告ら銀行が現代社会において果たす活動、役割の公共性等からすれば、前記第二の二3で認定した金融機関に義務づけられている本人確認義務とは、本人の意思に基づく口座開設等の取引であることを確認することをいうのであり、銀行は右義務を、預金名義人のみならず、当該預金口座を通じて取引行為を行う全ての者に対して負担すると主張する。

しかしながら、以下に述べるとおり、被告が銀行であるからといって、口座開設、大口現金取引等の具体的取引に際し、特段の事情もないのに、他人の預金口座を利用するにすぎない多数の関係人が右口座を利用した第三者の不法行為によって損害を被ることを防ぐため、当該口座開設等の取引が本人の意思に基づくものかどうかを確認すべき一般的義務があるとは解せられない。

2  弁論の全趣旨によれば、銀行取引については、普通預金に限定しても、預金者が設けた預金口座を利用し、または、これを通じてなされる取引行為には広範かつ様々なものが存在し、かつこれらが不特定多数人との間で大量かつ反復して行われていることが認められ、右事実に照らせば、不特定多数の預金口座利用者が第三者の不法行為によって損害を被ることのないように予見してこれを回避するため、口座開設や大口現金取引等の際の本人確認の義務を銀行に負わせるとすると、大量かつ迅速に行われるべき銀行取引の迅速性を害し、銀行事務に過重な負担を強いる結果となり、これが現代の金融取引や国民経済活動上の障害となることが予想されるから、銀行が一般的に本人確認義務を負うとすることは相当でない。

この点、確かに、被告ら銀行が、自らの利益又は便宜のために、預金の帰属すべき人物が不明であるため適正な事務遂行が困難となったり、預金の払戻しが真の預金者に対して有効な弁済となるかについて紛争が生じたり、預金者から民事上の責任を問われたりすることのないように、口座開設に際して偽名口座を防ぐため本人確認に努めたりすることは望ましく、また、そのことによって国民経済上健全な私法取引が確保され、銀行業務に対する国民の信頼が得られる結果ともなるが、これら健全な銀行取引が確保され、銀行業務が取引当事者の意思に基づき適正に遂行されているという銀行に対する信頼も、銀行の自主規制、事務適正化によりもたらされる反射的な利益にすぎず、銀行に対し法的責任を追求する根拠とすることはできない。

また、原告がその主張の根拠とする前記マネ・ロン通達やマネ・ロン事務連絡にいう銀行の本人確認義務は、前記第二の二3で認定のとおり、麻薬二法の具体的実現手段として麻薬等薬物の不正取引を撲滅するため、不正な薬物取引により得られた資金洗浄等を防止するために行政上課せられたものにすぎず、他人の預金口座を利用するにすぎない多数の関係人が銀行取引上不正行為によって財産的損害を被らないようにするため取引適正化の見地から規定されたものでないことは明らかである。

右のとおり、被告ら銀行は、架空名義又は他人名義による口座開設であることが明らかで、開設者が当該口座を不正な手段に利用する意図が窺われるといった特段の事情がある場合は格別、そのような事情のない限り、口座開設、大口現金取引等の具体的取引に際し、他人の預金口座を利用する者が第三者の不法行為によって損害を被らないようにするため、口座開設、大口の現金取引(三〇〇〇万円を超える出金)が名義人本人の意思に基づく取引かどうかを確認すべき義務はないと解される。

3  次に、本件においては、前記第二の二2で認定したとおり、被告箕谷支店は、本件口座開設に先立って被告西宮北口支店の得意先から海産業なる不動産業者が不動産取引の関係で口座を開設したいと言っている旨の紹介を受けていたこと、海産業の取締役であった下村が被告箕谷支店に来店し、普通預金申込書に丁田の勤務先として海産業を記載したこと及び被告箕谷支店の担当者は、これらの事情から、海産業の社長ないし従業員である丁田が本件口座を不動産取引の関係で使用するため同じ会社に勤める下村が何らかの事情で丁田の代理人として口座開設に来たと考え、本人確認資料を持参せずに開設を申し込んだことを疑問に思わなかったと認められるところ、右事情を総合すれば、被告箕谷支店の担当者がそのように考えるのも自然なことであり、また、これら事情からすれば、銀行として大量の事務を取り扱っている被告が直接丁田本人に口座開設の意思を確かめる手続を取らなかった点を不当とすることは相当でないし、さらに、本人確認の資料の持参がなかった点については、前記第二の二2で認定のとおり本人確認資料の追完約束があったことを考え合わせると、被告において下村らの不法な目的を知りえた等の右特段の事情も認め難い。

したがって、本件口座開設に際して、被告の本人確認義務は存在しなかったというほかはなく、被告の右行為には過失ないし違法性は認められない。

4  また、被告が下村から電話があった後に本件口座の通帳とその届出印を持参した男性に対し、本件口座に振り込まれた五五〇〇万円のうち五二五〇万円を払戻した手続についても、前記第二の二2で認定のとおり、下村から予め代理人を行かせるとの連絡があり、来店した男性が本件口座の通帳とその届出印を持参して不動産取引に使用するので直ちに出金したいと申し出をしたのであるから、口座開設の際の本人確認資料の追完がなく、また三〇〇〇万円以上の出金の際の本人確認資料も持参きれていなかったという事情があったとしても、被告には、右払戻しに応ずる私法上の義務があり、その支払を拒否できなかったというべきである。

したがって、本件口座からの被告の右払戻しに過失ないし違法性があるとは認められない。

5  被告が、平成五年一二月八日、本件口座から二五〇万円の払戻しをなした点について、過失ないし違法性があることを認めるに足る証拠はない。

二  以上のとおり、被告には不法行為の要件である過失ないし違法性が認められないから、その余の点について判断するまでもなく、原告の主張は理由がない。

第四  結論

よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大谷正治 裁判官牧賢二 裁判官北岡久美子)

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